1st season
長いこと顔を合わせていなかったひとり娘から、突然呼び出され、結婚の報告を受けた。
そうか、よかったな。おめでとう。しかし娘の結婚が感慨深いかといえば、どうも勝手が違う。むしろ、こんな父親ですまん、という、うしろめたい気持の方が大きい。
娘とはいっても、一緒に暮らしたのは八つのときまで。
離婚して俺が家を出てからは、妻がひとりで育ててきた。その元妻は、娘が大学を卒業した翌年、突然の脳梗塞でこの世を去った。
思い返せば娘と会うのは、彼女の三回忌のとき以来だ。
娘からは、結婚式に出席して欲しいと言われた。しかし途中で育児を放棄した俺みたいな親が出席していいものか。まあ、かといって、親のいない結婚式というのも変だろう。とりあえず、教会のバージンロードを歩かされるのだけは勘弁してもらった。
そして、当日。
教会での式が無事に終わり、もうすぐ披露宴が始まろうとしている。
別れた妻の親族がいる控え室は居心地が悪いので、俺は喫煙所の隅でタバコに火をつけた。
妻が妊娠したときにやめたタバコ。誓いを破ってまた吸い始めたのはいつだったろう。確か、妻とうまくいかなくなってからだ。
「だから子どもの前でタバコなんか吸わないでよ!」
「うるせえな、いちいち。ベランダならいいだろ」
「窓が開いてたら意味ないじゃない馬鹿じゃないの」
「馬鹿ってなんだおまっ」
ああ。家族の思い出が夫婦喧嘩ってのは、どうなんだろうな。
幼い娘と家族三人で暮らした二十数年前のことが、俺はどうもうまく思い出せない。ただ、俺も妻も一生懸命に働き、一生懸命に娘を育てた。たぶん、人並みに幸せだったと思う。
なのにどうして、俺たちは別れてしまったのか。
ひとことで言えば、夫婦の性格の不一致。世の中の多くの離婚カップルと同じように、俺たちもまた、その言葉につまずいてしまった。
気づくと俺は、別れた妻に話しかけていた。
「本当は俺じゃなくてさ、お前がここにいなきゃいけないんだよ。俺はどんな顔して席に座ってりゃいいんだ? よくわかんないよ。あの子の本当の親は、俺じゃなくてお前だろうが」
披露宴が華々しくはじまった。
ドレスに身を包んだ娘は、別れた妻に似て、綺麗だった。
来賓の挨拶のとき、うっかりマナーモードにし忘れた俺の携帯が鳴ってしまった。まわりの親戚連中から白い目で見られながら、物陰でこっそりメールを開くと、えっ…。それは死んだはずの妻の名で届いていた。
なーにビクビクしてんのよ。携帯の電源くらい切っときなさいよ。
なんだこれは。誰のいたずらだ。まさか娘か。
なわけないじゃない。私よ、私。あんたに捨てられた私。もう、あなたがそんなにオロオロしてたら、あの子が恥かくじゃない。全然変わらないのね、あんたって人は。あのね、親が離婚しても、別々に暮らしても、あなたがあの子の父親であることは変わらないんだから。もっと背筋伸ばして、しっかりしてちょうだい。
いい機会だからついでに書いとくわ。もう死んじゃったから言うけど、私が再婚しなかったのはね、この日のためなの。あの子の花嫁姿くらい、あんたと一緒に見てやってもいいかなと思ったの。まさかそれまでに死んじゃうとは思わなかったけど。ふふ。
突然、白いスポットライトに包まれ、ハッと顔を上げると、司会者が俺の名を呼んだ。
俺はスタッフに促されるまま、立ち上がる。花嫁のたっての希望でお父様と一緒にお色直しの退場です、などと言う。聞いてない。なんだこれは。
娘が近づいてくる。うろたえる俺を笑いながら、娘は俺の手を握った。
入場口の扉が左右に開かれる。太陽の光が差し込んで眩しい。
その光に向かってぎこちなく歩きはじめると、忘れていた過去の記憶が、一気に甦ってきた。ああ、小さくてふにゃふにゃだった娘の手。
小さな娘を真ん中にして三人で手をつないで歩いた。
アパートの近くの児童公園、駅前の商店街、幼稚園に向かう路地。
春も、夏も、秋も、冬も。
いい子だね、かわいいね。妻と何度も微笑み合った。いたわり合った。確かめ合った。
俺たちは、幸せな家族だった。
あの光の向こうで、妻が俺たちを待っているような気がする。
横を見ると、娘が泣いている。こんなときこそ父親らしく、シッカリしなくては。俺は背筋を伸ばし、堂々と胸を張る。上を向いて歩こう。まっすぐに。でも、どんなに上を向いて歩いても、涙は頬をつたってしまう。
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放送日:2017年10月17日|出演:荒井和真 佐藤みき|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす