1st season
誰かと一緒にご飯を食べるとき、私はいつもきまって、妹のことを思い出します。
琴音はひとまわりも歳が離れた妹です。
私たちは同じ親から生まれても、性格が全然違いました。
母親似で器量がよくて素直な妹に比べ、私はといえば、父親にそっくりで、男っぽくて反抗的で雑な性格。
誰からもかわいがられ、ちやほやされる妹を見るのは、年が離れていてもあまりいい気分ではありませんでした。中学でも高校でも男子からまったく相手にされなかった私は、幼稚園児にして男の子にモテまくる妹を、憎らしく思うこともありました。なんであんたばっかり?
だから、私たちは仲よし姉妹などではありませんでした。高校を卒業して私が実家を出てからは、ときどき顔を合わせる程度の関係でした。
そんな妹からある日、お昼ごはんに誘われました。
「なにそれ琴ちゃん、珍しいじゃん」
「研修先がちょうどお姉ちゃんの会社の近くだなって思ってさ。だからたまにはふたりでどう?」
「来週は忙しいんだよなあ。まあ、別にいいけど」
妹のことなので、きっと雑誌に載っているようなお洒落な店を予約して、きれいな服を着て来る。そしてまた私ひとりが、不釣り合いな恥ずかしい思いをする。そんな光景が頭に浮かびました。
私はなんだか、そのとき無性に意地悪をしたくなったのです。
「じゃあさ、店は私、決めちゃっていい?」
「あ、うん、全然いいよ。ありがとう」
私が妹を連れて行ったのは、駅前の牛丼屋でした。
「え、ここ?」
「ほら、早く食券買わないと後ろに列できるよ」
「こういうとこ入ったことないからわかんないんだけど…」
「じゃあ並にしとけ、二九〇円の」
妹はおそるおそるという感じでサラリーマンの男だらけの店に入り、ぎこちなく牛丼を口に運びました。
「お姉ちゃん、こういうとこよく来るの?」
「しょっちゅうだよ。安いし早いしうまいから」
何か相談事でもあるのかと思いましたが、特にこれといった話もなく、両親の様子や知り合いの噂話であっというまに食事は終わり、私たちは店の前で別れました。
「じゃ、私、仕事あるから戻るわ」
「お姉ちゃん」
「ん?」
「ありがと。美味しかった」
あのときすでに、妹が余命わずかだったと知ったのは、彼女が亡くなってからのことです。心配をかけさせたくないと、妹は病気のことを私に隠すよう、父と母に言ったそうです。
あの牛丼屋でのわずかな時間が、妹とふたりきりの最後の時間になりました。仕事の研修で来たというのは嘘で、妹は、わざわざ私に会いに、私と食事をしに来てくれたのでした。母が言うには、あの日は、妹が自分の好きなものを自由に食べられる最後の日だったそうです。翌日からは食事制限がはじまり、薬のせいで食べることすら苦痛になる、そんな治療がはじまったのです。
私は最近、心のなかで、妹に語りかけることがあります。
〈琴ちゃんごめん。私のせいでせっかくのランチ、台無しにしちゃった。琴ちゃんの好きなもの、食べさせてあげればよかったよ。なんであんな意地悪しちゃったんだろう、私。あのね、私、ずっと琴ちゃんに嫉妬してたんだ。ごめんね、悔やんでも悔やみきれないよ。病気のこと、なんで教えてくれなかったの? 水くさいじゃん〉
そんな想いが、天国の妹に通じたのでしょうか。
ある日、不思議なことが起こりました。
あの駅前の牛丼屋で、仕事の合間に牛丼をかきこんでいたときのことです。スマホにメールの着信があり、仕事の連絡かと思って開いたら、それは、なんと妹からのものでした。
お姉ちゃん、こないだはありがとう。牛丼、意外だったけど、すごい美味しかったよ。世の中にはこんな安くて美味しいものがあるんだってびっくりした。というかね、私、少しでもお姉ちゃんのこと知ることができた気がして、それだけで嬉しかった。
私は牛丼をかきこむ手を止め、その先を読み進めました。
あれからは、治療のせいで食欲がわかなくて、せっかく食べても戻しちゃうことも多くて、ほんと、食事がつらかった。最後のあたりは、お父さんとお母さんを喜ばせるためだけに食べ物を口に運んでた。
私、お姉ちゃんと牛丼食べた思い出を宝物にして、残りの時間を生きたよ。お姉ちゃんと食べた最後の食事が幸せな時間で、本当によかった。お姉ちゃんがどんなふうに思っていても、私はお姉ちゃんのことが大好きだよ。わかってるでしょう?
あれ、今日の牛丼はやけにしょっぱいと思ったら、それは涙の味でした。まわりのサラリーマンにじろじろ見られ、恥ずかしいので急いで店を出ました。おもてでもう一度メールを読もうとしたら、不思議なことに、妹からのメールは、もうどこにもありませんでした。
本当に不思議な出来事でした。
でも、それから私は、誰かと一緒にご飯を食べる時間をとても大切にしています。日常の何気ないひとときであっても、「おいしいね」と言い合い、笑え合える時間は、私にとって、とてもかけがえのない貴重なものなのです。
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放送日:2017年10月31日|出演:まちゃ 井上晶子|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす