3rd season
ついこのあいだ、七十歳の誕生日を迎えた。
私は戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代。本当はもう「おばあちゃん」であるはずなのに、まだそんな実感がない。子どもができず、当然孫もいないから、多くの同級生たちのように「おばあちゃん」になりきることができない。
夫が死んだのは五年前。若年性の認知症だった夫は、最後の頃はもう、私のこともよく分かっていなかった。そうなってしまえば、夫が何を喋ろうと本気で取り合ってもしょうがない。でもそんな中で彼に言われたひとことが、私にはとてもショックだった。
「今日はあたたかいね。すっかり春だわ」
「あ」
「はい、お茶淹れましたよ」
「あ、あ」
「どうしたの? そんなまじまじ私のこと見ちゃって」
「あんた、どこのばあさんだ?」
呆けているのはわかっている。でも「ばあさん」と面と向かって言われて、私は女としてものすごく腹が立った。
それで夫の死後、私は美肌をはじめた。髪も服も化粧も、以前よりもうんと気をつかった。しょっちゅうデパートに顔を出しては、夫の遺したお金で乳液や化粧品を買い、健康のためにプールとヨガもはじめた。
「これ、いい色ね」
「春の新作なんです。ぜひお試しください」
「いただこうかしら」
そんなことばかりしていたら、「若返ったね」とか「とても七十には見えない」とか、まわりから言われるようになった。そして驚くことに、この歳でモテ期というものがやってきた。
ヨガ教室のあるジムで知り合った同年代の男性に、もしよかったら一緒に暮らさないかとプロポーズをされたのだ。彼も奥さんを早くに亡くしていた。とても親切な、気さくなひとだった。
まさかそんな、この歳でまた結婚なんてばかみたい。
でも、私は考えた。孤独死なんていやだ。それに夫みたいに呆けてしまったら、いったいどうなるんだろう。
身寄りのない私には、やっぱり誰かが必要かもしれない。
今朝、私はいつものように夫の遺影に手を合わせ、それから携帯電話に夫に宛てたメールを書いてみた。
〈 ねえ、どう思う? 仏壇はこのままだし、家も手放したりしない。お墓もちゃんと守っていく。私が死んだら、あなたと同じお墓に入るつもり。でも、私、まだそっちに行くつもりはないの。生きている間だけ、許して。さびしいのはつらいから。ねえ、あなたのせいよ。あなたが、ばあさん、なんて言うから… 〉
午前中はプールに行って、午後はお友達とランチして。そして帰ってくると、携帯にメールの着信があった。
開いてみてビックリした。それは、夫からのメールだったのだ。
悪かったよ、ばあさんなんて言って。でも呆けてたんだ。しょうがねえだろ。あんときはほんとに、どこのばあさんが家に上がり込んだかと思ったんだよ。
ちょっと何よこれ。誰のいらずらよ。
でも、本当にきれいになったな。きれいなばあさんになったよ。こっち来るときも、きれいなままでいてくれよ。そのためには、誰かと一緒に暮らした方がいいさ。刺激があってさ。俺みたいに呆けたらダメだぞ。
ばあさんばあさんって、もう。
でも実際に、七十なんだもの。ばあさんよね。いたずらには腹が立つけれど、もし夫が本当にメールをくれたなら、腹は立たない。誰の仕業か知らないけれど、いいわ。私はきれいなばあさん。鏡の前に立って、にっこりと微笑んでみた。
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放送日:2019年4月30日|出演:佐藤みき 荒井和真 石附弘子|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす