1st season
「お母さんが倒れた」
そう実家の弟から連絡があったのは、ある晴れた春の朝のことでした。
くも膜下出血。母の死はあまりにも突然で、四ヶ月が経った今でも、私はそのショックから立ち直ることができません。
「つらいよね。でも頑張りなよ」
「親の死はみんなが通る道だから、早いか遅いかだけの違いだよ」
「いつまでも落ち込んでたら天国のお母さんが悲しむよ」
周りの人たちは、いろんな言葉で私を励ましてくれます。
でも、いつまでも落ち込んでいたら、どうしていけないのでしょう。
「アキちゃんは、明るい子って書いてアキコなんだから、また前みたいに明るいアキちゃんでいて欲しい」
みかねて部屋に遊びに来てくれた親友のカナちゃんは、そんなふうに私を励ましてくれました。うん、がんばる。明るく生きるね。
でも、そんなありきたりな自分の名前が、私は幼いときからずっと嫌いでした。クラスの友達には、美咲ちゃんとか、果音ちゃんとか、菜々海ちゃんとか、声に出しても漢字で書いても、キラキラと輝く可愛い名前の子がいっぱいいたのに、私はアキコ。なんで私だけがこんな昭和な名前なの? 平成生まれなのに。
「明子、ほら、宿題ちゃんとしなさい」
「明子ぉ、帰りが遅くなるなら電話しなさいって言ったでしょう」
母に名前を呼ばれるたび、私はいつもイライラしていました。この名前のせいで、「いつも笑顔で明るく楽しい子」をずっと演じ続けなければいけませんでした。
会社を定時に上がってアパートに帰ると、私は着替えもせずにベッドに横になり、お腹がすくまでぼんやりスマホをいじって過ごしています。そのまま眠って、夕飯を食べない日もあります。母が亡くなってから、ずっとこんな感じです。なにもやる気が起きないのです。
誰か、平日のこんな時間でも相手してくれる友達いないかな。
そう思いメールアプリを立ち上げると、ふとした操作ミスで、以前、母とやりとりをしていたメールの画面が出てきました。
「明日は昼過ぎから雨だって。ちゃんと傘持っていくのよ」
「肉じゃが作ったから、会社帰りに取りに来なさい」
就職してからはじめた私のひとり暮らしを、ずっと心配していた母。
それをいつも「余計なお世話」と言って邪険にしていた私…。
気づけば私は、母にむけてメールを書いていました。
「お母さん、ひとり暮らしはやっぱりさびしい。悲しいくてさびしくてしょうがないよ。私、いつも明るくなんていられない。ねえ、どうしてこんな名前にしたの? もっといい名前つけて欲しかった。ねえ、何か答えてよ。私の様子もっと心配してよ。もっと余計なお世話してよ。なんで死んじゃったの?」
いつのまに眠りに落ちたのでしょう。夕日のまぶしさにふと目を覚ますと、スマホのディスプレイにメールの着信通知がありました。
件名は「Re:」。あれ、私、誰かにメール送ってたっけ…。
明子、変な時間に寝ないの。夕ご飯はちゃんと食べないとだめ
えっ。驚くことに、そこには母の言葉がありました。
明子って名前、そんなにいや? お母さんはね、すごく気に入ってるのよ。あなたが生まれるとき難産だったから、お母さん、病院のベッドの上でずっと窓の外を眺めててね。ふと明子がいいな、って思ったの。 明るいって漢字はお日様もお月様もあるでしょう。朝も昼も夜もいつだって道を照らしてくれる。そんなふうにね、このお腹の中の赤ちゃんが明るい世界を生きられますように、道に迷わずに済みますように、って思ったの。 明子、あんたは大丈夫。お母さん、天国からずっと見てるから。今もあんたが心配で、余計なお世話したくてうずうずしてるんだから、ね。
うん、とスマホに頷いて、こぼれた涙をぬぐうと、次の瞬間、不思議なことにそのメールはあとかたもなく消えていました。
私、夢でも見ていたのかな…。
窓の外を見ると、東の空に小さな白い月が出ています。それはまるで母がにっこりと微笑んでいるような、素敵な三日月でした。
ふと想像してみます。私が生まれるとき、病院のベッドの上で、母もこんなふうに空を見たのかもしれない。夕日のまぶしさに目を細め、月のかたちを確かめて、そして、私の名前に願いをこめたのかもしれない。
私はベッドから起き上がり、夕飯の準備をはじめました。
ひとり暮らしをはじめる前に母に習わされた、直伝のお味噌汁。
とんとん、と野菜を切っていたら、なんだかそのうちに母の死をちゃんと受け止められるような気がしてきました。うん、立ち直らなきゃ。
きっとそれが、私が母の願いに報いる、唯一の方法なのです。
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放送日:2017年9月5日|出演:小林葉月 佐藤みき|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす