1st season
おつかれさまですと言い残して、社員たちは皆帰っていった。
深夜一時。このフロアに最後まで残っているのは俺ひとりだ。
さて、そろそろ俺も帰るか…。
そう思うものの、応接ソファに腰を落ち着けると、自然と身体が横になってしまう。
経営は苦しい。資金繰りに奔走する身体は、還暦を前に、もう根を上げようとしている。
パソコンにメールが届いたらしい。
そういえば人事部長から新卒採用の件で報告を受けることになっていた。
新卒採用、か…。今の社員に給料を払うのもやっとだというのに。
俺たちが入社した年は同期が十人もいた。
時代は上を向いていた。働けば働くほど、面白いように業績が伸びた。
でも十人のうち、三十年経って残ったのは俺と岩瀬のふたりだけだった。
俺たちは会社が好きだった。仕事が生き甲斐だった。
働いて、出世する。それが、俺たちの人生だった。
しかし組織というのは残酷なものだ。
俺が副社長になったとき、岩瀬がリストラの対象になった。
三十年一緒に働いてきたのに、俺が昇進して、あいつがクビだなんて。
俺たちは馴染みの飲み屋で、腹を割って話をした。
「いいよ。会社のためなら、俺は辞める。そのかわり、退職金はしっかりはずんでくれよ」
「お前、本当にそれでいいのか」
「お前が社長まで登り詰めたらさ、また俺のこと再雇用してくれや。トイレ掃除くらいすっからよ」
でも、その約束は果たせなかった。
俺は社長になった。でもそのとき、あいつはもうこの世にいなかった。
葬式のとき、あいつの奥さんは言った。
会社を辞めてから何もすることがなく、毎日ぼうっ過ごしていたと。
もしあいつをクビにしなければ、あいつは死ななかったような気がする。仕事をしていれば、生き甲斐があれば、今も元気だったのではないか。
なのに、俺は自分の出世のためにあいつを切った。
ともに歩いてきた仲間を見捨てた。
応接セットに寝転んだまま、ネクタイをはずして靴下も脱いだ。今日はこのまま会社に泊まろう。
俺は瞼を閉じて、岩瀬に謝る。
すまん、俺はやっぱり社長の器じゃない。そろそろ潮時だと思ってる。
でも本当は最後までお前と一緒に戦いたかった。
あきらめるなら、お前と一緒にあきらめたかった。それだけはわかってくれ。
まどろみを破ったのは、メールの着信音だった。
こんな時間まで仕事をしている社員がまだいたのか。
俺は目を見張った。社内メールの差出人が、岩瀬の名だったからだ。
おい社長。約束が違うじゃねえか。いつになったら呼び戻してくれんだよ。トイレ掃除まで節約しやがって。
目を擦り、デスクの上の老眼鏡をかけて、もう一度よく読む。やっぱり、これはあいつの言葉だ。
俺が死んだのはお前のせいじゃねえ。元々ウチは早死にする家系なんだよ。それにな、会社辞めてからただボケッとしてたんじゃねえ。ずっと頭ん中で考えてたんだ。どうすれば会社がよくなるか。お前を助けてやれるか。でも思いつけなかった。俺もまた所詮はその程度の器なんだ。クビを切られて当然なんだ。 ただな、会社をよくするには、少なくとも条件がふたつある。ひとつは、優秀な社員がいること。あとひとつは、社長がしっかりすること。わかってんのか、こら。
俺は何度もそれを読み返した。気づくと午前三時をまわっている。
明日の朝の会議は八時半から。少しでも睡眠をとるなら、人事部長が寄越したメールは今のうちに目を通すべきだろう。
俺はそれをプリントアウトし、入念にチェックした。
その作業を終えてから、もう一度パソコンを見ると、不思議なことに、さっきの岩瀬のメールがあとかたもなく消えていた。
俺は夢でも見ていたのだろうか。
そうだよな、死んだヤツがメールなんて送れるわけないもんな。
追い詰められて、変な夢を見たんだ。でも、俺は思う。
もう少し社長の椅子にしがみついて、会社のためにあがいてみよう。
あいつに、恥ずかしいところは見せられない。
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放送日:2017年9月19日|出演:星野あつシ 荒井和真|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす