3rd season
僕の仕事は旅客機のパイロットだ。国内線がほとんどだが、国際線にもときどき乗る。
コクピットにいると、いつも思う。飛行機の一番の特等席はファーストクラスではない。この操縦席だと。
目の前に広がる雄大なパノラマの景色。真っ青な空、クラウドサーフィン、朝焼けに夕焼け、満天の星空、そして極めつけはオーロラ。
恋人にも、この景色を見せてやりたい。 ずっとそう思い続けていたが、僕の彼女はあいにく大の飛行機嫌いだった。
「今度、冬のヨーロッパとか、どう?」
「やだよ、飛行機なんか乗りたくない」
「そんなこと言ってたらどこも行けないじゃんか」
「電車で行けるところがいいよ。落ちたらやだもん」
「そう簡単に落ちないって」
「だいたい、あんな鉄の塊がさあ」
「鉄っていうか、金属の塊ね」
「どっちでもいいけど、あんな重い物が空を飛ぶことがいまだに信じられない」
五年付き合ってプロポーズをしたとき、彼女は言った。
私は、危険と隣り合わせの仕事をしている人の妻にはなれない、と。
「私、ずっと旦那さんがいつ死ぬかわからないって、そんな不安を抱えながら生きるのなんていや」
「じゃあ僕はどうすればいいわけ?」
「…知らない」
恋人と別れるか、それともパイロットをやめるか。
そう考えて、僕はパイロットであり続けることを選んだ。そして、彼女のことを忘れようと努めた。
彼女と別れてから、もう一年が経つ。
今日は雨のフライトだ。窓の向こうの誘導灯がにじんで見える。
彼女が亡くなったと聞かされたのは、昨日のことだ。僕と別れてから、彼女は実家のある北海道に帰って暮らしていた。
交通事故だったという。もちろん、飛行機じゃない。自転車に乗っていて交差点でバイクと接触した。
くしくも今日のフライトは札幌便だ。
フライトの前に、僕はロッカールームでひとりきりになり、彼女のスマホにメールを送った。
〈お葬式には間に合わなかったけれど、これから君の住んでいたところに行くよ〉
いつか、もう一度会えるような気がしていた。なのに。
時間になったので、身支度を整えてロッカールームを出る。そのとき、スマホが震えた。
見ると、彼女から返信が届いている。まさか。
待ってるね。こっちは雲ひとつない、いい天気だよ。
なんだこれ。誰がこんなメールを寄こしたんだ。そう思いながらも、搭乗の時間が迫ってきたので、僕はスマホの電源を切って、それをフライトバッグの中にしまった。
札幌便は定刻通りのフライトになった。
エンジンを加速させ、雨に濡れた滑走路を注意深く走り、テイクオフ。ぐんぐん高度が上がる。
雨雲が切れると、目の前には真っ⻘な空が広がっている。
雲の上の世界。果てしなく広大で、そして宇宙へとつながっている場所。もしかしたらこの空のどこかに、今、彼女はいるのかもしれない。
死んでしまったのなら、きっともう怖くはないだろう。
僕は真っ直ぐ前を見つめながら、すぐ横に彼女が座っているような気持ちになって、心の中で呟いた。
「この美しい世界を、僕は君に見せたかったんだよ」
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放送日:2020年3月17日|出演:相木隆行 井上晶子|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす