3rd season
俺には娘がひとりいる。
しかし事情があって、娘は俺のことを知らない。俺は自分の娘を、「父親を知らない子供」にしてしまったことを今も後悔している。
事情については…勘弁してくれ。娘を産んだ母親との約束なのだ。
「私はこの子を産む。でも、約束して欲しいの。あなたとはこれっきり。絶対にこの子の前に現れたりしないで」
「…わかった」
「約束だからね」
「ああ」
人生はいろいろある。まあ、察してくれ。
俺は毎週、決まった曜日の決まった時間、ラジオを聴いている。
「さあ今週もはじまりました、私、そらがお送りする『そらラジ』、今回のゲストはなんと!昨日ニューアルバムをリリースしたばかりの…」
番組のパーソナリティは、そら、という女性だ。彼女の名前は、俺が娘につけた名前と同じだった。会うことが叶わなくても、いつどこにいても忘れることのないように。そう願って、俺は生まれてくる子供に名前をつけさせてもらったのだ。
一度声を聞いて、名前を知って、俺は彼女のことが気に入った。
二年前のある日のことだ。銀行で何気なくめくった地元のタウン情報誌に、ラジオパーソナリティ・そらのインタビュー記事が載っていた。グラビア写真の顔にどきりとした。彼女の目元が、俺の知っている女にそっくりだった。
記事を読んでさらに驚いた。プロフィールの誕生日。そして母子家庭で育ったという話。
彼女は、本物の「そら」だったのだ。
「さあ今週もはじまりました、私、そらがお送りする『そらラジ』…」
それから、俺はそらの番組をすべて録音して何度も何度も繰り返し聞いた。 こっそりラジオ局に会いに行ってみようかと何度も考えた。でも、彼女の母親との約束をやぶるわけにはいかない。今は会えない。けれどいつか…そんなふうに思っていた。
「…では今週はこのへんで。また来週、お楽しみに!」
ところが、だ。
その番組がある日突然、打ち切りになった。そらが、亡くなったという。
それを聞いて、俺はラジオの前でしばらく動けなかった。
ラジオ局のホームページを見に行くと、リスナーからの追悼メッセージが公開されていた。娘はたくさんの人に愛されていた。そのことが嬉しかった。でも、つらい。
俺は、番組の問合せフォームにメッセージを書いた。
〈そら、俺はずっと聴いていたよ。応援していたよ〉
しかし送信ボタンを押せない。押したら、あいつとの約束を破ってしまう気がした。
そのときだった。俺の携帯電話が鳴った。
誰だろう。手に取ると、送信元はラジオ局だった。問合せフォームは送信していないのに、なんでだろう。
いぶかしく思いながらメールを開く。次の瞬間、俺はその場で固まった。
ありえない話だが、それは「そら」からのメールだった。
お父さん、いつも聴いていてくれて、ありがとう。私がラジオの仕事をしていたのは、世の中のたくさんの人に私の声を届けたかったから。それはつまり、どこかにいるはずの私のお父さんに、私のことを気づいてもらいたかったからです。だから、「そら」っていう本名でずっとやってきました。お父さんがつけてくれた名前なんだよって、小さいときにお母さんに聞いたから。「そら」って名乗り続けていれば、いつかお父さんが私に気づいてくれると信じていました。本当だよ。その証拠に、今日は、お母さんが昔好きだった歌を流します…
俺は急いでラジオをつけた。
スピーカーから流れてくるイントロが懐かしい。そらの母親と出会った頃、ふたりでよく聴いていた、まさにその曲だった。
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放送日:2019年9月3日|出演:荒井和真 井上晶子 佐藤みき|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす