2nd season
津田沼ユースケ。享年32歳。
その名前を、私は新聞の死亡広告で偶然見つけた。
押し入れから昔の卒業アルバムを引っ張り出して、確かめる。 担任をしたのが23年前だから…、もし彼だとすると卒業はちょうど20年前。…あった。それは彼に違いなかった。
私は小学校の教員をしている。
小学三年生のクラスを受け持ったときの津田沼くんは、とても手のかかる子だった。成績は下から数えた方が早く、たしか家庭環境もあまりよくなかった。いつも疲れた大人のような、つまらない顔で学校に通っていた。それでいて、ときどき友達の悪口を言ったり、いたずらをしたりしては、それを楽しんでいるような子だった。
ある日、道徳の授業でクラスの全員に将来の夢を書かせたら、彼だけ白紙だったのをよくおぼえている。
でも、津田沼くんは誰よりも絵が上手だった。
図工の時間、私は彼の描く絵を見るのが楽しみだった。
その彼がマンガ家としてデビューした、と知ったのは数年前。かつての同僚が教えてくれた。
私は気になって書店にかけ込んで、彼のマンガを買った。どこが面白いのかよくわからなかったけれど、やっぱり絵は上手かった。人物が生き生きしていて、彼の絵だ、と思った。
彼の作品が世に出たのは後にも先にもその一冊だけだった。でも、教え子の活躍は素直に嬉しかった。
あるとき、深夜のラジオを聴いていたら、偶然、ゲストはマンガ家の津田沼ユースケです、と紹介されていた。
「小学生のときですか。うーん、正直、あまり思い出はないですね。マンガばっか読んで、絵ばっか描いて。友達なんかほとんどいなくて、つまらないヤツだったと思います」
津田沼くんは子ども時代の思い出をそんなふうに語っていた。
一年間だけ担任だった私のことなど、きっと記憶の片隅にも残っていないだろう。
お葬式に出るほどの関係ではない。
卒業どころか、最後に会話を交わしたのは彼が9歳のときだ。
でも…。教員をやっていて一番つらいのはこのときだ。教え子が、自分よりも早く逝ってしまうなんて。心にぽっかりと冷たい穴があいたような気分になる。
〈あなたのマンガ、私、持ってるからね。ずっとずっと大切に読むからね。〉
やりきれない気持ちを、スマホに打ち込んでみる。アドレスも知らない、電話番号も知らない。ただ、言葉を並べてみるだけ。
そうだ、彼のマンガを手に取ろう。もう一回読み直してみよう。そう思って本棚の前まできた、そのときだった。
スマホにメールの着信があった。
誰だろう。開いてみて、はっと息をのんだ、差出人の欄に、津田沼くんの名前が表示されていたからだ。
先生、ご無沙汰しています。先生は覚えていますか? 図工の時間に、先生が僕の絵を褒めてくれたこと。『津田沼くんの描く人の顔はみんな生き生きしているね』って。あのひとことが嬉しくて嬉しくて、僕は将来絵を描く仕事をしようと決めました。先生に褒めてもらったように、誰かに褒めて欲しくて、認めて欲しくて。大人になってからも、くじけたとき、つらいとき、いつも先生のあのひとことを思い出していました。心の支えでした。ずっと感謝を伝えたくて、でも伝えきれなかったこと、天国からメールします。先生、ありがとう。先生のおかげで、僕は夢を見ることができた。夢を、叶えられた。
そのメールが、誰かのいたずらという可能性もある。天国からメールが届くよりはその方が現実的だ。でも、いたずら好きな彼のなりすましだったら、それもいいかな、信じてみようかなという気持になるから不思議だ。
あのひとこと、か。図工の時間に私が彼にかけたひとこと。
それを、私は覚えていない。でもそんな私の小さなひとことが、こんなふうに彼の人生を変えていたなんて。
私は本棚から彼のマンガを手に取り、そっと胸に抱いた。
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放送日:2018年11月6日|出演:佐藤みき 大野杜|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす