2nd season
親の葬式のために、久しぶりに日本に帰ってきた。
納骨に遺品の整理、遺産をめぐる家族会議。とはいえ、親の介護はずっと兄貴に任せきりだったから、いまさら俺の出る幕などなかった。
俺は25年前からオランダのある町で日本料理屋をやっている。当時、その町に日本料理の文化などなく、俺の店は予想していた以上に繁盛した。日本に帰る暇もないほど忙しかった。
まだ二十代、東京で修行中だった俺が外国で店を開いたのは、でも、望んでいたことではなかった。俺は、日本から逃げ出したのだ。
当時働いていた神楽坂の店に、好きな女がいた。俺には彼女しかいないと思った。告白をするのと同時にプロポーズをした。しかし、なかなか返事がもらえずに長いこと待たされた。運悪く店が大阪に支店を出すことになり、彼女がそこのスタッフとして大阪に引っ越してしまった。アパートの部屋の電話でしかやりとりはできなかった。当時はまだスマホはおろか携帯電話もない時代だった。
半年待っても返事はもらえなかった。フラれたに違いなかった。ナイーブだった俺の心は傷ついた。ある晩、俺は覚悟を決めて店を辞めた。親に無理を言って金を借り、知り合いのつてをたどって外国に逃げた。そしてたどりついた町で自分の店を出した。
いつか有名になって彼女を見返したい。その思いで料理を作り続けた。
親の葬式が済み、遺品整理をしていたら、二五年前に実家に預けていた昔の荷物が見つかった。たいしたものはなかったが、そのなかに懐かしい電話機があった。マイクロカセット式の留守番電話。この機械の前で俺は数え切れないほど彼女からの電話を待った。
ふと、まだ使えるのかコンセントを差し込んでみると、留守電のランプが赤く光った。おや。何気なくテープを再生してみる。
「けんちゃん、久しぶり。元気ですか。プロポーズの返事をしたくて電話したけど…、いないみたいだから、ここに吹き込んじゃいます。私…、東京に帰ってけんちゃんと一緒になります。待たせてごめんね」
…なんてことだ。失恋したとばかり思っていた俺は、この留守録を聞かずに日本を発ってしまった。店の誰にも行き先を告げなかったから、彼女は俺を探すこともできなかっただろう。
俺は昔の友人に電話をかけまくり彼女を探した。ひとり、かつて彼女と仲がよかったという大阪のスタッフの女性と連絡がとれた。
俺が愛した彼女は、亡くなっていた。それも俺が日本を離れてからわずか三年後に。ショックだった。彼女は独身のままだった。ほかの男から言い寄られても、
「私、好きな人からプロポーズされてるから、ごめんね」
そう言って断っていたという。25年前にもスマホがあれば…。どこの国にいても通話ができて、メールもLINEもできていれば。
〈留守電、いま聞きました。すまない。いまの時代なら、俺たちは一緒になれていたのにな〉
俺は自分のスマホに文字を打ち込んだ。アドレス帳にもちろん彼女の番号などない。
そのときだ。メールが届いた。差出人のわからない、アドレスもないメール。なんだこれは。
一緒になれなかったのは、時代のせいじゃないよ。けんちゃんのことが好きだったのに、もったいぶって待たせたりした私のせい。すぐに決心できなかった私が悪かったの。一度ね、オランダのけんちゃんのお店、行ったんだよ。偶然見たテレビで紹介されてたから。すごい繁盛してびっくりした。トイレに行くふりして、厨房をほんの少しだけ覗いちゃった。けんちゃん、すごく立派になってた。胸がいっぱいで、料理の味なんか全然わからなかったよ。
夢かうつつか。読み終わった次の瞬間、スマホの電源が突然切れた。
慌てて電源を入れ直したが、彼女のメールはどこにも保存されず、消えてしまった。なんだったんだ…。俺は頭がおかしくなったのか…。
翌日、俺はまた日本を発ち、オランダに帰った。
飛行機の窓から故郷を見下ろしながら、俺は思った。いつか彼女が、もう一度俺の店に来たとき、「美味しい」と言ってくれるように、俺はきっとこれからも料理を作り続けるのだろう。
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放送日:2018年8月7日|出演:荒井和真 松岡未来|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす