2nd season
ひとりの役者が死んだ。昔から安い映画ばかりに出ていた、年老いた名もない俳優。
その訃報が新聞やネットの記事になることはなく、私はそれを事務所の関係者からの又聞きで知った。
私もまた、長いこと役者を生業としている。かつては彼と同じ事務所に所属していた。三十数年前のほんの一時期、彼と私は、男と女の関係にあった。一緒に暮らしていたこともある。
「明日は何? テレビの収録って言ってたっけ?」
「バラエティの再現ドラマの主婦。そっちは?」
「刑事もの」
「いいじゃない。やりたいって言ってたもんね。で、何の役?」
「借金取りB」
「ぴったり。台詞は?」
「んなもんないよ」
「でも、こないだの死体役よりはましね」
「しかもNG三回も出してな」
私たちは貧乏だった。いつか共演したいね、と話すことはあっても、いつか結婚しよう、なんて話は一度もなかった。
あるとき、私たちは仕事のことで激しい口論をした。これから私たちは映像の世界で生きるべきか、舞台で生きるべきか。
「これからはデジタルの時代だよ。映像の仕事はどんどん増える」
「そんなの、ただ便利に消費されるだけじゃない。私は、役者の本当の仕事は舞台にしかないと思う」
今思えば無意味な言い争いだった。でもふたりとも本気だった。
私はそれから事務所を移り、舞台の仕事ばかりするようになった。彼もまた映像の仕事がメインになった。自然消滅みたいにして私たちは別れた。
そして私はいつまにか歳をとり、結婚もせず、とうに還暦を過ぎた。
役者の仕事より、今は事務所のお金のやりくりばかりしている。もうこれからは、しわだらけの身体を人目にさらすこともないだろう。
彼を偲ぶささやかなお別れ会が開かれたのは、夏の初めのある夜のことだった。舞台も映像も関係なく、昔の役者仲間が集まった。宴もたけなわのころ、会場のスクリーンに彼の出演した映画が流された。台詞もない端役ばかりが編集されてつながれた、わずか数分の映像。
でもそこには若き日の彼がいた。私の知っている彼がいた。私の好きだった彼がいた。
私は珍しく酔っ払ってしまった。帰り道のタクシーで、気づくと私は携帯電話を片手に、死んだ彼へのメッセージを書いていた。
〈今日ほど、映像が羨ましいと思ったことはないわ。あなたは生きていた。あなたの出た作品がこの世界に残り続ける限り、あなたは映像の中で永遠に生きていけるのね〉
そこまで書いて、保存もせずに電源を切ろうとした、そのときだった。メールの着信。発信先には、11桁の見知らぬ携帯番号が表示されていた。
俺だって、舞台に立つ君のことが羨ましいよ。
びっくりして心臓が止まるかと思った。それは、死んだはずの彼からの返信に違いなかった。
やり直しや編集がいくらでもできる映像とは違って、いつも君は、舞台の上で目の前の一瞬を生き続けていた。君は知らなかったかもしれないけど、俺は君の出演した舞台を客席から全部見ているよ。…舞台か。映像か。俺たちは別々の道を歩んだけど、結局、観客の心の中で生きることができれば、そんなのはどっちもでいいんだ。
そのとき、タクシーが赤信号で急ブレーキを踏み、手元から携帯電話が転げ落ちた。慌てて拾ってもう一度読もうとしたけれど、不思議なことに、彼からのメッセージはもうどこにもなかった。
私は帰り道の途中でタクシーを止めて、家の近くのレンタルDVDショップに立ち寄った。そして彼の出演作を、知ってる限りみんな借りた。今夜は、これを見ながらもう一度お酒を飲もう。おもてに出たときの夜風は、芝居がはけた後のように心地よかった。私はまた、もう一度、舞台に立ちたくなった。
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放送日:2018年6月5日|出演:荒井和真 佐藤みき|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす