3rd season
この歳で、はじめてのキャンプだなんて…。
何を着ていけばいいのかしら。やっぱり夜は寒いわよね。
サイズが大きすぎる夫のフリースを引っ張り出しながら、私は早くも後悔している。この歳でキャンプだなんて…。
「はい、もしもし斎藤です。あら、荒木さん」
夫のキャンプ仲間の、その奥さんから誘いの電話があったのは、夫が亡くなって二ヶ月ほど経った頃だった。夫の通夜も葬式も、その夫婦は来てくれた。でも、突然、キャンプに行かないか、だなんて。丁寧に断ろうとしたものの、電話の相手が奥さんから旦那さんに変わった。
「キャンプ仲間をみんな集めてね、あいつの追悼キャンプをしようってことになったんですよ。だから奥さんにはぜひ来てもらわないと。ね」
そんなふうに言われたら、断ることができない。
亡くなった夫は、キャンプが好きな、アウトドアの人だった。私は反対にインドア派。若いうちは何度も一緒にキャンプをしようと誘われたけれど、ずっと拒んでいたら次第に誘われなくなった。
私は普通の旅行ですら億劫なのだ。枕が変わると寝られない。布団の埃アレルギーですぐ鼻水が出る。それなのに、この歳になってはじめてのキャンプだなんて。
荷造りをしながら、心配は尽きない。ちゃんとしたものを食べられるのかしら。お風呂には入れるのかしら。テントの中で寝られるかしら。人前ですっぴんをさらすことになるのかしら。いびきを聞かれたらどうしよう。おトイレはちゃんとあるのかしら。
「どうもどうも、お迎えに上がりました」
「おはようございます。今日は本当に…」
「挨拶はいいから、さ、乗って乗って」
友人夫婦の車に乗せられて、携帯の電波も届かないような山奥のキャンプ場に出かけた。
「おう、みんなもう来てるな」
そこには、かつての夫のように、仕事を定年退職して暇をもてあましているキャンプ仲間が何組も参加していた。
キャンプは思ったよりも快適だった。ダッチオーブンを使った料理は本格的で美味しかったし、お酒が入って、みんなにこやかだった。星空も綺麗。テントは広く、誘ってくれた奥さんたちと一緒に同じ年代の女同士四人、高校生の修学旅行のように寝袋を並べておしゃべりをした。
夜中、ふと目が覚めてランタンを片手にテントの外に出たら、私を誘ってくれたあの旦那さんが、ひとりで焚火をしながらお酒を飲んでいた。
「あら」
「ああ、どうも。どうですか、はじめてのキャンプは」
「とっても楽しい。誘ってくれてありがとう。あの人も、きっと喜んでいると思うわ」
「いやね、この満天の星空を奥さんに見せてやりたいって、あいつずっと言ってたんですよ。だからみんな、奥さんをここに連れてきたくてね」
「そうだったの…」
それを聞いて、私は鼻の奥がつんとした。
なんだかテントに戻る気持ちになれず、私は焚火のそばで携帯電話を取りだし、天国の夫に向けメールを書いた。
〈キャンプっていいものね。一度くらい、あなたについていけばよかった。ねえ、死んだら人は空の星になるってよく言うわよね。あなたも、あそこにいるのかしらね〉
送信ボタンを押して、そのまま携帯電話を閉じる。そもそも電波が届かない場所なのだから、このメールがあの人に届くはずはない。
ところが、携帯が鳴った。
何かしら。そう思って開いてみると、メールの着信。まさか。
そこには、星の絵文字がひとつ、きらりと光っている。え?
ふと顔を上げたそのときだった。まぼろしだろうか。満天の星空の中で、大きな星がひとつ、同じようにきらりと光った。
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放送日:2019年11月5日|出演:佐藤みき 荒井和真|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす