3rd season
女性なら料理ができるというのは、男たちの勝手な思い込みだ。
特に、私のような歳のいった女は自宅で料理をするのが当たり前だと思われているけれど、ふん、勘違いもいいところ。 自分で作っても美味しくないし、それにだいたい、面倒くさい。
夫に先立たれ、子どももいない私は、ずっとひとり暮らしだ。
近所に、いつも行く定食屋がある。 三年ほど前にひっそりとオープンした、若い男がひとりでやっている小さな店。
定食屋にしては清潔で、カフェみたいな雰囲気でもあるので、私ひとりでも入りやすい。
「いらっしゃいませ」
「日替わり、ひとつ」
「はい」
カウンターの隅の席が私のいつもの場所。会話はしない。ただ黙々と食べて、お金を支払い、ひとこと、「ごちそうさま」と独り言みたいにつぶやいて帰るだけ。
私はほとんど毎日、その店で夕飯を済ませている。日替わりの定食は野菜も多くて栄養のバランスもいい。なにより、美味しい。夕方の早めの時間に行くから、混んでいることもない。
ところがある日、いつものようにその定食屋に行くと、店は閉まっていた。ドアには一枚の貼り紙。そこには「閉店」の文字が。
隣のクリーニング屋で聞いてみると、店の主人が急に亡くなったという。まだ若かったのに。営業中に厨房で倒れて、救急車で運ばれたものの、だめだったそうだ。
せっかくいいお店だったのに。私がこんなばあさんになっても健康でいられるのは、あの店の定食のお陰なのに。あの若い店の主人に、一度も感謝を伝えられなかった。
信号で立ち止まったとき、私はふと思いついて携帯電話でメールを書いてみた。
〈 ありがとう。いつも美味しかったわ。あなたのお陰で私は病気ひとつせずに生きていられたの 〉
ひとり暮らしが長くて話す相手もいないから、私はときどきこうして、携帯電話に思いを綴ることがある。
これから毎日、お夕飯どうしようかしら。またどこかのいいお店を探さなくちゃ。そんなふうに思っていたときだった。
滅多に鳴ることのない携帯電話が鳴った。
見てみると、それはメールの着信だった。え、誰かしら。
知らないアドレスからのメールだった。開いてみる。
いつもご利用ありがとうございました。あなたがいつも美味しそうに料理を口に運ぶのを厨房からそっと見て、僕はその日の自分の料理の出来を確かめていました。ごちそうさま、と最後に満足そうに言ってもらえるのが嬉しかった。それを聞きたくて、店を続けていました。僕が厨房で倒れた日、最後に聞いたのはあなたの「ごちそうさま」でした。料理人として幸せな最後だったと思います。これからも、どうかずっとお元気で。
まさか、天国からメールが? そんなはずはない。それに私と彼はお互いアドレスなんて知らないもの。
変なこともあるものね、と思いながら携帯電話をしまう。この歳になれば、不思議なことのひとつやふたつ、どうってことない。頭がボケはじめたのかもしれない、と思うだけ。
でも、帰り道、私は本屋に寄って料理本を一冊買ってみた。
歩きながら思ったのだ。もし私が不健康になってあっという間に死んじゃったら、天国であの人に合わせる顔がない。もうこれから料理を覚えたって別に誰に食べさせるわけじゃないけれど、そうね、イチからお勉強してみましょう。あのお店の味は、幸い、まだちゃんと舌が記憶しているから、それを参考にして。
ごちそうさまでした。ありがとう。
私はもう一度心をこめて、胸の中でつぶやいた。
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放送日:2019年7月16日|出演:佐藤みき 相木隆行|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす