3rd season
この春、娘が小学校に入学する。まだ小さな彼女の身体に、新品のランドセルはずいぶんと大きく感じられる。
私はシングルマザーだ。三十のときに結婚してこの子を産んだ。
夫が出て行ったのは、この子がまだ三歳のとき。夫は子どものことを愛していたけれど、私のことは愛していなかった。
赤いランドセルは父が買った。私に何の相談もなく勝手に選んで、勝手に買った。
「何怒ってんだよそんなに」
「何でお父さんが勝手に買うわけ? 相談とかしてよ」
「だからサプライズでまほりんを喜ばせてやろうと思って…」
「まほはピンクか水色って決めてたの!」
「いいじゃないの、そのくらい。赤も可愛いわよねえ、まほちゃん」
「だっから、もう! お母さんは黙ってて!」
「いいじゃねえか、いいやつなんだぞ、これ」
「そういう問題じゃないから」
その喧嘩が去年の秋。それから私は父とほとんど口をきかなくなった。
私は知らなかった。そのとき、父が病魔に冒されていたなんて。
私が知ったのは、父が亡くなるわずかひと月前のことだった。
「なんでそんな大事なこと、私に黙ってたの?」
「だって、お父さんが…」
母は口止めされていたらしい。
「子育ても仕事もひとりでやって大変なんだから、これ以上あの子に余計な心配はかけるな」
「いってらっしゃーい。気をつけるんだよ」
娘のまほは今朝、小学校へひとりで歩いて行った。車とか、不審者とか、とても心配だ。ランドセルには、お守りをぶらさげ、GPS機能のついたキッズ携帯も持たせた。
出勤前、娘が無事に小学校にいることをスマホで確認する。
ほっとひと息つくと、私はふと、父に謝りたいような気持ちになった。手にしたスマホに、文字を並べてみる。
〈お父さん、ごめんね。お父さんの気持ち、素直に受け止めればよかった。私ってどうしてこんな小さな人間なんだろうね。自己中で、器が小さくて、こんなだから旦那にも愛想尽かされて苦労してるんだよね。わかってるよ。ねえ、今朝、お父さんの買ってくれた赤いランドセルにね、お守りを結んだの。そしたらまほが言ったんだ。おじいちゃんが守ってくれるから大丈夫だよ、って〉
書きながら、本当に悔しい気持ちになる。父に感謝を伝えることもろくにできなかった。涙が出そうだったけれど、仕事前なのでぐっとこらえた。
不思議なメールが届いていることに気づいたのは、仕事が終わって家に帰ってきたときだった。朝書いて削除したはずの父へのメールに、返信が届いていたのだ。
ほんとに、いつまでも素直じゃないな、お前は。でもな、世の中に完璧な人間なんていないんだ。
何これ。なんでお父さんからメールが来るの?
だから親はいつだって子どものことが心配なんだ。何かしてやれることはないかって、思うんだ。なあ、お前がどんな人間だろうと、まほの母親ってことは変わらない。お前の子どもを守るのは、俺じゃない。お前だからな。がんばれよ。でもときどきは、ちゃんと母さんを頼るんだぞ。
「あ、おかえり!」
娘が帰ってきたので、不思議なメールの話をする。
「ねえ、おじいちゃんからメール来たよ。まほも一緒に見よう」
でも、いくら探しても、もうそのメールは見つからなかった。娘は不思議そうな顔で私のことを見上げている。
「ごめん、そんなわけないよね」
私はそう言ってスマホをポケットに押し込み、おかえり、ともう一度言って、娘の小さな身体を抱きしめた。
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放送日:2019年4月16日|出演:石附弘子 荒井和真 佐藤みき|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす