2nd season
五十代も後半にさしかかった独身の中年女。
結婚もせず、たいした仕事のキャリアもなく、ただ世を忍ぶように静かに生きている。それが私だ。
でも私には恋人がいる。
出会ったのが三十一のときだったから、もう二十五年も付き合っていることになる。知り合ったとき、彼は前の奥さんとの離婚の協議中だった。
「俺はもう、結婚はこりごりだな…」
離婚が成立したとき、そんなふうにこぼしていたから、私は彼に結婚をせがんだりはしなかった。彼の淋しさを埋めるように、そばにいるだけ。一緒に食事して、デートして、ときどきどこかに旅行して。私たちの関係を知らない人からは、奥さん、と呼ばれたこともあった。だけど私はずっと彼にとっての「彼女」だった。
いつかは、と思っていた。
でも四十を過ぎてからは結婚することも子どもをつくることもあきらめた。彼の浮気は何度も許してきた。せめて一緒に暮らしたいと思ったけれど、彼はそれも嫌がったから、ずっと別々に暮らしている。「結婚はもうしない」そんな彼のスタンスを、私はずっと理解してきたつもりだ。お互いに自立して、ふたりで精神的に支え合って暮らしていければそれでいいと。
なのに、ある日突然、彼は亡くなった。
「なんか最近痩せたね、大丈夫?」
「ああ、仕事が忙しくてさ。この歳で寝る暇もないよ」
「ダメだよ、もう年なんだから」
「だよな。これからちょっと仕事の山が来るからさ、しばらく会えないけど、再来月あたりまたゆっくり温泉でも行こう」
そう言って、しばらく連絡が来ないと思ったら…。
彼が癌だったなんて、私はちっとも知らなかった。もし私が彼の奥さんで、ずっと一緒に暮らしていたら、手遅れになる前に気づいてあげられたかもしれない。ただの恋人でしかない私には、彼のお葬式を出す権利すらなかった。
数日後、見知らぬ弁護士がやってきた。
遺言書があるという。そして、彼の遺産のほとんどが私のものになると告げられた。
金額を見てびっくりした。彼がこんなにお金を貯めていたなんて。
彼に会えなくて淋しい。悲しい。悔しい。でもその反面、もう生活に困らないということにホッとしている自分もいる。私はもうすぐ六十代。働かなくても済むのは何よりありがたい。かと思えば、彼に対する怒りもふつふつわいてくる。結局、彼のせいで私は結婚できなかった。子どももつくれなかった。ただ彼に振り回されるだけの人生。なのに、病気のことすら教えてもらえなかった。
ひとりの人間の死は、ひとつの感情だけを連れてくるわけじゃない。彼が亡くなって、私はそのことを知った。
〈お金、私に残してくれてありがとう。…でも、私たちっていったい、何だったんだろうね。あなたの本当の気持ち、私はずっと知らないままだった。私と一緒にいて幸せだった? そのくらい、教えてよ。〉
ある日、ひとりの部屋で、いつも彼にメールを送っていたみたいに、私は携帯電話にメールを打ち込んだ。送信してみる。
すぐにメールの着信があったから、エラーメッセージだと思って開いてみた。違った。それは、彼からの返信だった。
いろいろ悪かったな。俺の人生に付き合わせてさ。淋しかっただろ。ごめん。でも、俺も淋しかった。俺さ、この淋しさの中で生きていたかったんだ。結婚しない。一緒に暮らさない。そう決めたから、俺たち、ずっと同じ気持ちでつながっていられたんだ。
彼から返信が届くことを不思議に思いながらも、それを読んで、私は、はたと気づいた。
私は二十五年も付き合って、それでもまだ、いまも出会ったときと同じように彼のことを想っている。いつまでもずっと恋のままで。こんな関係を、彼はきっと望んでいた。誰かに話しても理解してもらえないかもしれない。でも、私は彼の気持ちがわかった。それだけで、十分だった。最後まで恋人同士でいられたのだから。
メールの最後には、こう書いてあった。
俺はさ、お前に出会ってから、ずっと幸せだったよ。
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放送日:2019年2月5日|出演:佐藤みき 荒井和真|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす