2nd season
檀家の女性が亡くなった。まだ還暦過ぎの、ひとり暮らしの女性だ。ときどき寺の境内で見かけることがあった。
先代から引き継いだこの寺は、境内の隅の道路に面した場所に、小さな木陰の休憩スペースをしつらえている。石のベンチが半円形に配置されて、買い物帰りの近所の住人や、墓参りにやってきた檀家さんが、ときどきそこで身体を休めたりしている。彼女も、そのうちのひとりだった。
「ああ、どうもこんにちは」
「どうも」
「もう、すっかり秋ですな」
「ええ」
「風邪などひかれぬように。では、失礼」
顔を合わせるたびに短いやりとりを交わしていた。会釈だけのときもあった。ちゃんと話したことはなかった。今思えば、何かもっと彼女に声をかけるべきではなかったか。彼女には思い悩むことがあったに違いない。そんなことを考えながら、私は今、彼女の通夜で読経をしている。
見覚えのない顔がわずかに並ぶだけの、静かな通夜だ。
その夜遅く、私は寺に帰ってきてから、彼女がよく腰掛けていた石のベンチに腰を下ろした。
すぐそばで秋の風が木の葉を揺らしている。
彼女には身寄りがなかった。両親も旦那さんも早くに亡くし、子どももいなかったという。あまり社交的な女性でもなかったようだ。そんな彼女はもう何年も病気と闘っていた。そのことを、通夜の席で聞かされた。
孤独、というものを噛みしめる。いったいこの国には、孤独な老後を過ごす人間がどれだけたくさんいるのだろう。
寺のすぐ裏にある私の家には、妻と息子がいる。嫁と孫と、年老いた母もいる。犬も、住み込みの小僧もいる。私は寺の住職という仕事をしていながら、その賑やかな暮らしを当たり前のものと思い込んではいかなかったか。身寄りのない人々の孤独な心の内を、思いやることができていなかったのではないか。そう、私は、無力だ。
目をとじ、頭を垂れて心の中で呟いた。
〈申し訳ない。何の力にもなれなかった〉
目を開けると、夜空に浮かぶ細い月が、私をじっと見下ろしている。
家に帰ると、家族はもう寝ていた。寺の夜は早い。
本堂でその日の最後の読経を終え、自宅で寝支度をととのえていると、作業机の上のパソコンが、メールの着信を知らせた。こんな時間にどなただろう。そう思ってメールを開き、ドキッとした。発信者の欄に、ついさっき通夜をおこなった彼女の名前が記されていたのだ。
秋も深まってまいりましたね。私はお寺が好きでした。お寺の静けさと清潔さが、どの季節も、私のこころを落ち着けてくれました。お寺様にお目にかかるひとときだけで、私はいつも安心した心もちになれたものでした。ひとり暮らしの寂しい生活ではありましたが、ご先祖様に、そしてお寺様に、私はいつも守られているような想いでおりました。感謝を申し上げます。
なんだろう、このメールは。彼女はいつこのメールを送ったのだろう。少し不気味な気もしたが、案外落ち着いた気持ちで私はそのメールを読んだ。そして、また後悔をした。
人の心がなにを求めているのかは、誰にもわからない。それを他人に伝えたいかそうでないかも、わからない。でも、彼女が心に闇を抱えていたのは事実だろう。
彼女ともっと話をしたかった。ほんの世間話でいい。住職としてではなく、 ひとりの人間として、私はいまそう思う。
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放送日:2018年10月16日|出演:荒井和真 佐藤みき|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす