2nd season
部屋の鏡に映る自分の姿が、ひどくみすぼらしい。仕事帰りで疲れているというのを差し引いても、ひどい顔。それに変な髪型…。
最後に美容院で髪を切ったのは、もう半年も前のこと。
前は毎朝スタイリングに時間をかけていたけれど、最近はもう、何も考えず後ろで束ねておしまい。肩が隠れるまで伸びた髪は毛先が明るい色なのに、あたまのてっぺんは真っ黒でひどいことになっている。
私には、高校生のときからずっと通っている美容院があった。
短大のときもフリーターのときも今の保育士の仕事についてからも、二ヶ月に一度は必ず通っていた。そのお店に通うのが、誰にも言わないけれど、私の密やかな楽しみだった。
私は、そのお店でずっと私を担当してくれている、向井さんという美容師さんのことが好きだった。好きといっても、その人とどうにかなりたいというわけじゃなくて、でも会えるのが楽しみで。そんな人だった。
「えー、じゃあその子バイトやめちゃったんだ」
「そうなんです。ひどくないですか?」
「まあでもそういうこともあるよ、社会で働いているとさ」
「そうなんですけど、なんか私の方が落ち込んじゃって」
「だよね、その気持ちはよくわかるよ。俺もときどき…」
向井さんは、私の話をいつもやさしく聞いてくれた。
向井さんに会えるのが嬉しくて、彼の指先が私の髪に触れるのがなんだか幸せで、私は美容院に通っていた。
お店を離れても、セットのしかたについてLINEすることもあった。新しい髪型を相談して笑い合ったりするのが楽しかった。
「じゃあ今回は前髪ちょっと短めに冒険してみようか」
「えー、私ほんとに似合いますか?」
「大丈夫大丈夫。すごいかわいいと思うよ。もう春だしね」
「それ関係あるんですか?」
「イメチェンはやっぱ春でしょー」
「じゃあ、お願いします」
なのに。ある日、予約を取ろうと思ってホームページを開いたら、そこに向井さんの名前がなかった。
不思議に思って電話をかけると、向井さんは亡くなったと聞かされた。交通事故。お店の帰り、バイクにはねられた。
それ以来、私は仕事をするにも何をするにも、なんだか身が入らない。向井さんのことを思い出してぼんやりしてしまう。伸びた髪はどんどん鬱陶しくなっていくけれど、向井さんのいないお店に行く気になれない。他の美容院を探す気にもなれない。
あるとき、私は保育園の仕事が休みの朝、思い切って向井さんにLINEをしてみた。
〈髪、ばっさり切りたいんですけど、来週とか予約入れていいですか?〉
バカみたいだ。向井さんはもういないのに。こんなことをしている自分が恥ずかしくてつらい。
そのときだった。
え、と思ってスマホを見ると、LINEに画像が送られてきた。
CMでよく見るショートカットの女優さんの顔。
こんなのいいんじゃない?
えっ。
あとこういうのとか。カラーもこのくらい明るくして。
ネットのどこかから引っ張ってきたようなモデルの写真が次々に届く。
いったいなんだろうこのLINE。まるで向井さんと本当にやりとりしているみたい。
けっこう似合うと思うよ。来週おいで。待ってるよ。
ふと顔を上げると、部屋の鏡に映る自分と目が合った。
さっきの画像の髪型が、目の前の顔に重なる。うん、確かに悪くないかも…。今度あんな髪型にしてみようかな…。
そう思ってまたスマホの画面に視線を落とすと、不思議なことに、今届いたはずの画像がみんな消えていた。あれ? なんで? 向井さんのメッセージもない。何だったんだろう。私は頭が変になっちゃったの?
部屋の鏡には、呆然とする私が映っている。
「ほんとにショートカット、似合い、ますかね?」
つぶやくと、大丈夫大丈夫、という向井さんのやさしい声が聞こえた気がした。そういえば季節はすっかり、春になっている。
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放送日:2018年5月29日|出演:井上晶子 渡部貴将|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす