2nd season
「見て、満開」
「おお、きれいだなあ。やっぱりここの桜はいいなあ」
「お弁当持ってくればよかった」
「いいよ。今日はゆっくり桜を見よう。来年の桜は、見られないかもしれないからなあ…」
「またそんなこと。去年も一昨年も言ってたくせに」
「そうだっけ」
「また来年も言うのよ、きっと」
夫が倒れたのは四年前のことでした。脳腫瘍。手術は成功したものの、それからずっと、夫は再発の可能性と隣り合わせで生きてきました。
「桜がきれい」なんていう台詞を、私たちは毎年繰り返しています。でも、桜がきれいと思う気持ちは、不思議と飽きることがありません。夫が病気になって、私は特にそう思うようになりました。毎年ちゃんとめぐってくる季節。人の心にも、きっと四季があるのです。
今年も桜が咲きました。近所の公園は、去年と同じように満開です。
でも、私の隣にもう、夫はいません。悲しい、というより、私は腹を立てています。
夫のお葬式のとき、見知らぬ女が目の前に現れました。
私よりも少しだけ歳が若く、少しだけ背が低くて、そして少しだけ気の強そうなあの女。とてもお世話になりました、とだけ言い残して帰っていったあの女。仕事の付合いの人かと思いましたが、誰もその女の素性を知りません。
「もしかして親父の愛人なんじゃないか」こそこそ息子たちの話す声が、私の耳にも入ってきました。
気づけば私は公園の芝生に腰を下ろして、桜を見上げながらずっと、夫とあの女のことを考えていました。
十九のときに出会ってから、一度も私を裏切ったことのない夫。でもそれは、私が知らなかっただけなのでしょうか。
ふと取り出したスマートフォンに、私は誰にも言えない気持ちを綴りました。
〈ねえ、あの女はいったい誰なの? ずっと、あなたのこと信じてたのに… 〉
そして思いました。ばかばかしい。こんなことで涙ぐむなんて。私がこらえているのは、夫を失った悲しみの涙ではなくて、女のプライドを傷つけられた悔しさの涙です。
夫の葬式の後、あの女と話をしに行こうかと何度か思いました。でも彼女が夫の愛人だったという証拠は何もありません。本当にそうだったにせよ、間違いだったにせよ、どちらにしても私が惨めな思いをするだけ。
それに、いまさら何をしたって、夫が生き返るわけじゃありません。結局、生きていても死んでしまっても、私にできることは、信じる、ということだけなのです。
そのとき、手のひらのスマートフォンが震えました。メールの着信。驚いて、思わず声を出してしまいました。信じられない。指先が震えます。そのメールの発信者は、夫だったのです。
今年の桜も、きれいだね。やっぱりここの桜はいいなあ。
まるで、本当に夫がメールをしてきたみたい。でもそれを読んだ次の瞬間、私はイラッとしました。え、それだけ? そんなことより説明してよ。あの女が誰なのか。
すると、遅れてもう一通、メールが届きました。そこには、私の心を見透かしたように、
ちなみに彼女はね、君に出会うずっと前、学生のときに付き合っていた人なんだよ。だから、何も気にすることはないさ。
本当にそうなの?そう思った次の瞬間、スマートフォンの電源が突然切れて、画面は真っ黒になりました。慌てて電源を入れ直したものの、いくら探しても、夫からのメールが見つかりません。
なんだったのでしょう。不思議です。
でも一呼吸ついたとき、私の気持ちはずいぶん穏やかになっていました。
なんだ、そうだったのか。私に出会う前の人ならば、私が知らないのも、私と年が近いのも納得です。そうか。きっと本当にそうなのね。
怒りがおさまったら、なんだか急にさびしさが胸に広がりました。
私はもう一度スマートフォンを取り出して、今度は
〈来年もまた、一緒にあなたと桜を見たい〉
と打ち込んでみました。
でもいくら待っても、もう彼からの返信は届きません。
満開の桜は、やっぱり、今年もきれいです。
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放送日:2018年4月17日|出演:佐藤みき 荒井和真|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす