1st season
「マリッジブルーだよ」と人は言う。
私は次の日曜日に結婚式を挙げる。幸せなはずなのに、確かに幸せだと感じているのに、その日が近づくほど、私は何かに足を引っ張られているような、何かから身を隠さないといけないような、そんなうしろめたい気持になる。
いまどき珍しいかも知れないけれど、結婚は私のひとつの夢だった。
純白のドレスに、紅葉が綺麗な山の教会での挙式。中学生のときに雑誌でそんなシーンを見て、それからずっと憧れていた。その私の夢を、婚約者の直哉は全部かなえてくれる。
でも今、私がひとり暮らしの部屋でぼんやり思い浮かべているのは、大学時代に四年間付き合った、太郎ちゃんのことだ。
「三角屋根の森の教会でね、紅葉が綺麗な季節に式を挙げるの」
「ふーん。いいんじゃないの」
「えー、ちゃんと聞いてよ」
「でも俺たちまだ大学生だしなあ。結婚っつっても…」
「別に今すぐ太郎ちゃんと結婚したいって言ってるわけじゃないよ。ただの夢だよ、夢」
私よりイッコ上の太郎ちゃんは、大学を卒業すると東京の会社に就職して、私たちは遠距離恋愛になってしまった。
私は太郎ちゃんを追いかけて東京に行きたくて、就活のときは都心の会社をたくさん受けた。
「受かったら、東京で一緒に住むか?」
「うん、そうしよそうしよ。絶対楽しいよ」
でもある日突然、太郎ちゃんは死んでしまった。交通事故だった。
私がいまの婚約者と出会ったのは、太郎ちゃんのお葬式のときだった。
参列した会社の同僚のひとり、それが直哉だった。直哉はお葬式のとき、誰よりも悲しい顔をしていた。だから、私は彼のことをよく覚えていた。
太郎ちゃんのことが忘れられない私は、翌年、太郎ちゃんの面影を追うようにして、東京に出て働きはじめた。
あるとき、どうしても太郎ちゃんが勤めていた会社を見てみたくなって、ビルの前まで行ったことがあった。
入口の前で立ち尽くしている私に、親切に声をかけてくれたのが、お葬式のときにいた人、直哉だった。
直哉は私のことをとても心配してくれた。直哉は会社でただひとりの、太郎ちゃんの友達だったのだ。だから、彼の方も私のことを知っていた。
それから、私と直哉はときどき一緒にご飯を食べに行ったりして、太郎ちゃんの思い出を交換し合った。
それは私のさびしい都会暮らしのなかで、唯一の、心が安らぐ時間だった。そしていつのまにか、私と直哉は付き合いはじめていた。
そんなことがあって、私は次の日曜日に直哉と結婚する。
でもなんだろう、この気持ち。やるせなさ。
私はふと、まだ消去できないでいる太郎ちゃんのアドレスに、メールを送りたくなった。
〈太郎ちゃん。私、結婚するよ。まるで太郎ちゃんが死んだおかげで、私、幸せになるみたい。なんだか不思議。幸せって、こんなに哀しい気持なのかな。ごめん、って謝ったほうがいいかな〉
メールを送っても、どうせ宛先不明でどこにも届かない。
ところが、送信してもいっこうにエラーが戻ってこなかった。おかしいなと思っていると、一通の返信。
開いてみて、びっくり。それはエラーメッセージなんかじゃなかった。
舞衣、結婚おめでとう。もうすぐだね。マリッジブルーはそろそろ終わりにしときなよ。
私は何度もそのアドレスを確かめた。
いたずらじゃない。確かに太郎ちゃんのアドレスだ。
その気持は、舞衣だけのものじゃないよ。直哉もいま、あいつの部屋で同じことを思ってる。ふたりが一緒になってくれて俺はうれしいよ。おかげでずっと、俺もふたりと一緒にいられる気がする。
死んじゃってから、俺、思うんだ。人がこの世からいなくなることも、実は、未来をつなげる大事なことなんじゃないかって。俺が死んじゃったことにも、きっと、ちゃんと意味があるんだって。
読み終わると、突然スマホの電源が切れた。
あわてて再起動すると、でも太郎ちゃんのメールがもうどこにもない。
なんだったんだろう。本当に太郎ちゃんからのメールだったんだろうか。この世にいない人から届くなんて、そんなこと、あるわけない。
もしかしたら、私の都合のよい妄想かも知れない。太郎ちゃんからあんなふうに言って欲しくて、一瞬、夢を見ていたのかも知れない。
でも、私は思いはじめている。
そういう幸せがあってもいいんだ。悲しいことも、大事な人とのお別れも、みんな両手にいっぱい抱えて、私は幸せになるんだ。
ブルッとスマホが震えたので、慌てて画面を見ると、今度は直哉からのメールだった。そこには、〈今、不思議なメールが届いたんだけど…〉と書いてある。
私は直哉に電話をかけた。コール音を聞きながら、私は思う。
これからも私たちは、太郎ちゃんの思い出を語り合って生きていこう。
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放送日:2017年11月21日|出演:井上晶子 樋口雅夫|脚本:藤田雅史|演出:石附弘子|制作協力:演劇製作集団あんかー・わーくす